2010年9月26日日曜日

音楽の時代

環境問題が急にクローズアップされたように、
農業に再び注目が集まったように、
音楽はこれから、新たな価値観を持ってヒトにとってかけがえのない存在になるだろう。

音楽が本来持つ力、未知のパワー、まだ解明されていない領域にスポットがあたる。
ビートが、メロディが、ダンスが及ぼすヒトの神経、脳への問いかけ。記憶との対話。感情への道先。
ヒト宇宙のネットワークのなかで、遠く失ったものさえもどこからか呼び戻す「媒体」となり、新たなネットワークを繋ぎ生み出す「むすひ」となる。

それは医療に。治癒に。
パッケージとかセールスといった次元とはまた違う次元での活用。

音楽こそは、これから始まる高齢化社会の中で示される人間の作り出した豊かな贈り物であることへの再認識、再確認の時代が到来する。

実はここからが、いよいよ音楽の出番だ。

2010年9月11日土曜日

twitter 枕詞

インターネットが現在のように高速で情報を処理できる理由は、「すべてのことを数字で表す」というデジタル化が根本にあります。
一枚のきれいな絵も数字の羅列ですべてを表現することができるでしょう。

また、検索においても、ドメイン名があり、世界中で唯一のものとして、即座にたどりつけます。

こうした「情報のインデックス」にあたるものが twitter にあってもいい、と思いました。

最初の発想は、自分がつぶやく重要レベルを1〜5 にし、冒頭に付ける機能。

「今日、食欲ないなぁ」というのは、そのつびやきが原因で日米関係が悪化することはないからレベル1とか。「今、センター街で若者が銃で撃ち合ってます」なんてのはレベル5でもいいんじゃないかと。確かに、3と4の差が難しいとか、発信者が5の気持ちでも読む人にとっては1以下なんて情報も山ほどある。でもそれもおもしろい。あるひとのなにげなく思いついた発想は、そのひとにとっては、レベル1でも別の人には金の格言であることも多いでしょう。
そして、retweet を通じて、その数字がなんらかの合算方式で加算されるとなおおもしろそう。

てことを考えてて、それを以前、twitter のなんかのアンケートに送ったこともあります。
きっとスルーされてることでしょう。

今日はまた別で、
twitter の発言の「twitter 枕詞」ができないか、というアイデア。
枕詞という言葉が意味をせばめてしまうかもしれませんが。

和歌には枕詞が使われてきたが、これは言い換えれば、歌のなかでの「情報のインデックス」といえます。

「ひさかたの」といえば、その和歌は、天とか月とか雲とか光に関係することをこれから詠みますよ、というガイドライン。
そのひとことで、聴く方はその「久方モード」にグッと聴く姿勢を一気に傾け気持ちをフォーカスします。

この機能、すごくないですか?
まるでインターネットの検索です。
昔の日本人はすごいことを生み出してました。

これだけで、140文字という限られた文字数のなかでの5文字でだいたいの言いたいイメージを瞬時に分別できるはずです。
枕詞のような言葉は、これから生み出せばいいのです。
枕詞は単純に詠まれる歌の背景とか状況の情報を表しますが、twitter の場合には、自然、社会、文化、ビジネスなどといったカテゴリーの他に、news とか、ひとりごと、とか、意見、とか、そういった形態を示す枕詞が出来てもいいかなと思います。

古来の枕詞を復活させよう、という意図ではなく、
せっかくtwitter も盛り上がり、その盛り上がり状況も日本だけ特異な上昇カーブを描いているので、画期的な文化が生まれてきてもいいなぁと思います。

利点はスピードアップというほかに、やはり、発信者の立場、姿勢がはっきりするのかなと思います。たくさんの事を説明するには文字数が限られ、フォロー、フォロワーもどんどん増えていくでしょうから。

なんにもないところからはじめるのも大変なので、「枕詞」を今風に変形させていくのもおもしろそうだな、と思いました。

ただ、即効性が求められる twieer という性格上、「う〜ん、枕詞が思い浮かばない、枕ことばがわからない」なんてことになりそうです。

このアイデアはレベル1で。

2010年8月29日日曜日

最初のフォロワー

まずはドカーンとYouTubeを見てもらって。
といっても、もう有名なので、知ってる人も多いことでしょう。



ほほー。こうしてムーブメントは起こるんですね。

この図式を今後のミュージック・ビジネスに当てはめてみましょう。

最初に裸で踊りだすリーダー = アーティスト、音楽家、パフォーマー
一番最初のフォロワー    = 新たな役割
次々と続くフォロワー    = ファンの人たち、大衆

ということになり、一番最初のフォロワーが行った役割こそが、今後の新たな音楽ビジネスにおけるキーのポジションになるのではないでしょうか。

個人であれ、レコード会社を通じてであれ、世の中にデビューしてくるアーティスト。
日本レコード協会の発表では、この不景気といわれる音楽業界ですが、毎年デビューするアーティストの数は、2000年に比べると、2009年の段階で3倍以上の伸び率となっており、ほぼ毎年増加しつづけています。

ミリオンセラーといったビッグヒットの数が激減した分、数を増やしているのでしょうか?それとも以前に比べて、デビューするにあたり技術の進歩によりレコーディング費用をはじめ、レコード会社の投資する額が少なくてすむようになった結果、デビューするアーティストが増えたのでしょうか?

しかし、その反面、多くのレコード会社はスマート化を迫られているご時世です。
そうすると、いままでプロモーションと呼ばれていた部分、つまりアーティストの宣伝、企画、さまざまなフォローが手薄になる可能性もありますよね。たくさんアーティストが増えているのに、スタッフの数が少なくなって、手がまわりきらない、とか、いいアーティストでも会社のプライオリティのなか、埋もれてしまう可能性もあります。

個人でデビューする場合でも、twitter とかYouTubeとかあらゆるソーシャル・ネットワークを駆使して、プロモーションしたとしても、さらにネクストレベルにいきたいとき、大きなきっかけが欲しいはずです。そのときに、この「最初のフォロワー」の役割をするグループ、会社があるといいと思います。

この会社は、「いい!」と思ったアーティストをまず、発見する。
確信したら積極的に同じ立場にたって、ストーリーを考え、さらなるフォロワーを呼び込む。
ムーブメントに向けて動き出すクリエイター集団、広告代理店のようなものでしょうか。もっと、アーティストサイドに近い立ち位置で音楽だけに特化するようなイメージです。

でも今の状況ですと、個人のアーティストが、簡単に有名広告代理店にぼくを使ってスポンサーをつけてください、なんて相談をするにはハードルが高すぎます。そのハードルをぐっとさげるのです。個人のアーティストでもすぐれたアーティストであれば大きなメディアに売り込みにいくのです。

最初のフォロワーでないと意味がないので、まだ世の中に知られていない段階で、アーティストの音楽性に惚れ込み、同じ方向で活動することに喜びを見いださなければいけないでしょう。当然、音楽、流行、世間の動向などを視野にいれながらも音楽に対する愛情を持っていなければ、アーティストからも見放されるでしょう。

ひとりのアーティストにひとつのスポンサーがつくようなこともあるかもしれません。
アスリートのウェアにスポンサー名が入るように。
高校生だけをターゲットにしたフォロワーの増やし方にはそれなりのテクニックも必要と思われます。
メディアへの仲介も重要な役割で、そのためには、数字的なアーティスト、マーケットの分析が不可欠です。

レコード会社がシェイプアップするなか、音楽業界でもそんな仕事がクローズアップされるのかも、と思わせた動画でした。

2010年8月28日土曜日

ポップス

ポップスとはなんだ?
アイドルのことか?
大衆向けの音楽を指すのか?

先日どこかで耳にした話。
美人とは世の中のすべての女性の平均を形どったものを作ったら、「美人」ができるという仮設。
とか、
もっとも美しい人間のできる目と口のあいだの間隔と顔の横の広さに対する目の位置の間隔で顔の黄金比が割り出せるとか。それにあてはめると、シャナイア・トゥエインがその美人黄金比にあてはまり、アンジェリーナ・ジョリーはあてはまらなかったとか。

どちらが美人かという話しではないが、
つまり、音楽でいうポップスとはこの美人黄金比ではないだろうか。

世の中のあらゆる音楽の平均値。黄金比。それはひとつの美しい音楽だ。
でもそれが好きな人もいればそうでない人もいる。
アンジェリーナ・ジョリーの方が最高だ、という人がいるのと同じだ。
ワイルドなロックンロールが好きな人もいるだろう。

雅楽もあればアフリカンミュージックもあり、レゲエもあれば演歌もある。ロシア民謡もヒップアップもすべての音楽の平均値がポップス。

いろんな要素が凝縮される分、個性が弱いかもしれない。
毒がない分、受け入れやすいかもしれない。

これらがポップスの骨格だ。

さらに、
音楽の場合、そういった音楽のスタイルに加え歴史も自然と取り込まれる。
歴史はお化粧のようなものだろうか。
服装のようなものだろうか。
ファッション性を持って常に今の流行が反映される。
ときには少しレイドバックした感覚が最先端のときもある。

こうして出来上がったものがポップスだ。

そしてもっとも重要なのが聴く人には好みがあることだ。
いくら世界中でこれが一番平均化された素晴らしい音楽で今を捉えているよ、といわれても好きになれないものはなれない。
それはひとつの尺度で測るものではなく、複数の好きになる要因が重なってはじめてその音楽を好きになるからで、そこに聴く人=自分との対話が決め手となるからだ。

ただ単純に人を好きになるのが顔だけでないのと同じですね。

ついでにいえば、ポップスが大好きな人もやっぱり多いですね。
Popular Musicか。

2010年8月21日土曜日

I Gotta Feelin'

僕らは日本語を話します。
言葉と音楽とは非常に密接な関係があり、ひとつの言語の特徴はひとつの音楽の特徴を形成するのです。

例えば
英語には the や a といった冠詞があり、
日本語にはない。
これが意外と音楽において大きな違いを生み出していることに気がつきました。

少し前に、
NHK の教育テレビの「スコラ」という坂本龍一が音楽を"教授"する番組で細野晴臣がゲスト出演してまして、ベースについて語っていたとき。

細野さんは、若い頃にモータウンのベースをすごくコピーしたりして練習したそうで、そのときにアメリカ人(黒人?)特有の「音の前に入る無音の音」…(確か番組では「ミュートされた音」と表現されていたような)…が入ることに気づかれその「音の前の無音の音」を弾く練習をすごいしたそうです。彼らのグルーヴを取り入れようと。
つまりそこに大きな違いがあり、その無音の音を弾くことがベース演奏においてとても重要だよ、という神のようなアドバイスでした。
番組は中学生とか高校生も含む音楽入門者を対象にしておきながらこんな哲学のようなことを語るところが深いですね。

さて、
このグルーヴ感につながる無音の音、よくビートで「裏」とかいいますが、その感覚でしょうか?
アップビートという言葉もあります。

このアップビートにあたるものが英語の冠詞と関係があるのではないか、と思ったのです。

Black Eyed Peas の僕の大好きな曲のひとつに「I Gotta Feelin'」という曲があります。
この曲、冒頭からくどいほど繰り返されるサビの部分は、

I gotta feelin' that tonight's gonna be a good time…

となります。

ここの「that」の部分が注目です。

That は語学文法的には冠詞ではないのでしょうが、音楽のリズム的には A や the と同様、この that がアップビートの役割を果たしています。

つまり感覚で覚えてしまっている無意識のような言語。

もちろん最近の日本の音楽もこうしたアップビートを取り入れて音楽のノリも変化してきています。が、音楽のレベルがどうのこうのではなく、自然にそれが歌や演奏にでてくる、という点が言語と音楽の密接な関係を示しているのだな、といいたかったのです。

だから日本語のノリ的には、that を省略して tonight's gonna be…から歌っても歌えます。
拍だけで考えるとtonight's からはじめたほうがダウンビートではじまります。
ただ聴く人には平坦な印象を受けるかもしれません。
そこにアップビートで that が入ることによって、グルーヴ感が増す、というわけです。
ここでは「ミュートされる音」が that としてしっかり入っているわけです。

こういった例はたぶん a や the が無数にあるように数えきれないくらい音楽のなかに自然にあるんだと思います。

せっかく Black Eyed Peas を例に出したので、"I Gotta Feelin'" のこの動画をおすすめします。ここまで書いた話と直接関係はありませんが、ぜひ、お客さんの様子と、それに反応するステージにいる黄色い服を着た女性の反応に注目して最後まで見てください。

見終わったら、”何かいいことありそうな” 本当にしあわせな気持ちになれるおすすめ動画です。

2010年8月13日金曜日

電子ブックのその先

CDが売れなくなった、CDショップがまたひとつ減ってゆく、というニュースは寂しい限りだ。
一方、夏フェスのこの時期になると、本当に音楽業界は不況なのか?というほど各地で音楽の話題が事欠かない。

電子ブックが巷で注目されるなか、書店と本との関係はどのくらい音楽業界におけるCDショップとCDの関係に似ているのだろうか?

全国の書店も激しい競争の結果、全体では店舗数は減少し、中型、大型の店舗を拡大してゆく傾向にあるようだ。
小さな書店はかなり目立つ、アグレッシブな、個性的なキャラクターが必要とされそうだ。
すごい目利きがいるとか、ある一定のジャンルに特化しているとか、複数の本のつながりでひとつのテーマを語るようなまとめ売りができる説得力のある書店とか。

と考えるとやはり音楽業界がたどっている道との共通点が見え隠れする。
でもせっかく似ているのなら、ポジティブな面も期待したい。

ずばり、「フェス」だ。
音楽ビジネスでライブが元気がいいように。

大勢の著者がしゃべる、本フェス。


小説家のなかには喋るのが好きではない、という人も少なくないだろうが、本には色々な種類があり、芸術家もいれば、宗教家もいるし、経済学者もいるし、宇宙飛行士もいる。料理家もいれば、音楽家もいるし、政治家もいる。喋るのが得意な人もたくさんいる。その方々がとっておきのテーマをしゃべるライブ。
常に4つ、5つのステージというか会場が隣接していて、訪れた人は自由に行き来し、聞くことができる。なかにはワークショップのような形や、パネルディスカッションもあったりして。
ちょっとした「知」のフェスティバルなんだけど、堅苦しくない雰囲気で。若い人も興味を持つようなラインナップで。出版社の壁を超えたブッキングで。

本の内容からさらに一歩踏み込んだ解説や、その日限りの限定エピソード、ちょっとした経済セミナーとか、やり方はいくらでもありそうだ。
おいしい料理もあるといいな。

なんなら「秋フェス」って呼ばれたりして。

2010年8月5日木曜日

ライブハウスのこれからカタチ

宮入恭平という方が書いた「ライブハウス文化論」という本を読んだ。
ライブハウスの歴史、海外とのちがい、ノルマ制、ミュージシャンが表現する場所と街の在り方、などについて書かれている。

この本は2008年に出版されているので、TwitterとかUstreamが日本で一気に注目を浴びた2009年2010年とは少し状況が違うかもしれない。
では、twitter, Ustream本格化以後の「ライブハウス」はどうなっていくだろう?

ひとつは、極力お客さんのいないスタイル。
カラオケボックスのような広さで演奏する様子をUstreamで流し、課金する方法。
これも立派なライブだ。
流れているストリーミング動画があまりに魅力的であれば課金するだろうし、なによりもアーティストの方々に直接お金が入る仕組みをこれほど誰の目にも明瞭な形で実践することに意義がありそうだ。アーティストは安い場所代で演奏が可能になり地球上のどこへでも演奏をみてもらうことができる。
つまらないもの、興味のないものには課金しないだろうし、「ただなら見てもいいけど有料なら見ない」というものとの境界線ができるのも面白い。で、アーティストの質は淘汰されるだろう。


もうひとつは一人のアーティストの演奏でお客さんを呼ぶのではなく、「大きなまとまった集まり」のカタチ。

演奏するアーティストがいて、もちろん演奏するけれど、Twitterなどでできた大まかな輪が集う会。アーティストの演奏とオフ会が一緒になったような。つまり、参加者はアーティストのライブも楽しむけれど、来た人同士の交流も大きな楽しみのひとつ、というパターン。

こちらは、飲み食いできてある程度広さのある会場が望ましい。いまのライブハウスくらいの。そこに集まってくるであろう人々のタイプ、共通する志向性などがあらかじめわかっていると、その場所へ行くこと自体が楽しみになるはず。イギリスのパブとかに近いノリ。ライブの告知方法も、第3者からみてもどういった種類の人たちが集まるのかがわかるようなタイトルにするべきだ。「ニューヨーク好き」でも「SEX and the CITY好き」でも「ワールドカップ」でも「家庭菜園」でも何でもいい。そして趣旨にあったアーティスト。

合コンでもサロンでもない、カラオケボックスでもライブハウスでもないコミュニケーションの場所。その中心にアーティストの演奏とアーティストの人間力のパワー、コミュニティ、つながりのある図式。そこにつながっているお客さんも傍観者でなく、参加者で、時には誰かに見られる存在でもあるカタチ。

飲んで食って歌って、盛り上がってまた飲んで。場所を提供する側も飲食代で利益をあげて出演者へのノルマを設けなくてもよくなるように、音楽もコミュニケーションだ、というポイントにより重点を置く手法。

どうかな?