2010年8月5日木曜日

ライブハウスのこれからカタチ

宮入恭平という方が書いた「ライブハウス文化論」という本を読んだ。
ライブハウスの歴史、海外とのちがい、ノルマ制、ミュージシャンが表現する場所と街の在り方、などについて書かれている。

この本は2008年に出版されているので、TwitterとかUstreamが日本で一気に注目を浴びた2009年2010年とは少し状況が違うかもしれない。
では、twitter, Ustream本格化以後の「ライブハウス」はどうなっていくだろう?

ひとつは、極力お客さんのいないスタイル。
カラオケボックスのような広さで演奏する様子をUstreamで流し、課金する方法。
これも立派なライブだ。
流れているストリーミング動画があまりに魅力的であれば課金するだろうし、なによりもアーティストの方々に直接お金が入る仕組みをこれほど誰の目にも明瞭な形で実践することに意義がありそうだ。アーティストは安い場所代で演奏が可能になり地球上のどこへでも演奏をみてもらうことができる。
つまらないもの、興味のないものには課金しないだろうし、「ただなら見てもいいけど有料なら見ない」というものとの境界線ができるのも面白い。で、アーティストの質は淘汰されるだろう。


もうひとつは一人のアーティストの演奏でお客さんを呼ぶのではなく、「大きなまとまった集まり」のカタチ。

演奏するアーティストがいて、もちろん演奏するけれど、Twitterなどでできた大まかな輪が集う会。アーティストの演奏とオフ会が一緒になったような。つまり、参加者はアーティストのライブも楽しむけれど、来た人同士の交流も大きな楽しみのひとつ、というパターン。

こちらは、飲み食いできてある程度広さのある会場が望ましい。いまのライブハウスくらいの。そこに集まってくるであろう人々のタイプ、共通する志向性などがあらかじめわかっていると、その場所へ行くこと自体が楽しみになるはず。イギリスのパブとかに近いノリ。ライブの告知方法も、第3者からみてもどういった種類の人たちが集まるのかがわかるようなタイトルにするべきだ。「ニューヨーク好き」でも「SEX and the CITY好き」でも「ワールドカップ」でも「家庭菜園」でも何でもいい。そして趣旨にあったアーティスト。

合コンでもサロンでもない、カラオケボックスでもライブハウスでもないコミュニケーションの場所。その中心にアーティストの演奏とアーティストの人間力のパワー、コミュニティ、つながりのある図式。そこにつながっているお客さんも傍観者でなく、参加者で、時には誰かに見られる存在でもあるカタチ。

飲んで食って歌って、盛り上がってまた飲んで。場所を提供する側も飲食代で利益をあげて出演者へのノルマを設けなくてもよくなるように、音楽もコミュニケーションだ、というポイントにより重点を置く手法。

どうかな?

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