2010年7月10日土曜日

カバーソング

カバーソングは日本では大人気です。
徳永英明とかね。

カバーソングの楽しみかたって、もともと知ってる曲だから楽しいわけですよね。
「あーこの曲は知ってる。違う感じがして新鮮」とか「リズムが変わってもおもしろい」というように、明らかにオリジナルの知識が断片的に自分のなかにあって、音楽を鑑賞しています。その際にはオリジナル曲に対する感覚とそのほか自分の今までの音楽的体験からくるストックしてある音楽知識をフル活動させて、新しいカバー・バージョンに対して「聴いて」います。

でもなんでここまで日本人はカバーソングが好きなのでしょう?
日本人は、この「照らし合わせる作業」が好き、もしくは得意なんじゃないでしょうか?

新しい曲を聴く、という行為はある意味、自分のなかに新しいものを入れる作業で勇気が必要です。ちょうど初めての人と会ったときのように。

それに比べて、カバーソングの場合、
前の仕事先で知り合った人にばったり会ったら、向こうも会社変わってた、くらいの感覚で、「あー、どーもー」くらいはシャイな自分でも言えちゃう。そんな感じでしょうか。

つまり受け入れやすいのです。

自分自身にイエスという理由をつけやすい、そんな国民性でしょうか。
ちょっと古いですが、「NO と言えない」国民性でしょうか。
他の海外でももちろんカバーソングたくさんありますが、日本は特に好きな国民のような気がします。ぼくも好きです。

ただ本来のカバーソングは、音楽的にリスペクトしている、影響を受けたことへの敬意を表する意味を込めてカバーしますが、最近の日本のよくあるパターンは、カバーだと売れるから、という理由が少なくありません。

ところで、ふと思いついたのですが、
ヒット曲がでて、それをいろいろな人がカバーするのであれば、いっそのこと、最初から同時にいろいろな人がリリースするのはどうでしょう?

たとえば、Aという曲を、同じ日に、Superfly もコブクロも青山テルマも坂本冬美も同時リリースする。違うリズムで、違うアレンジで。ある人はロック風に、ある人は歌謡曲風に...シンガー、みんながオリジナルです。
これって、結局、もともとのその曲がどんだけ価値があるんだ?有名な人が書く曲で必ずヒットするだろうから、という前提が最初は必要かもしれません。例えば、曲はサザンの桑田さんが書く。みたいな。ビジネス的にも多方面に広がりがでておもしろそうだと思いませんか?同時20人リリースとか。(本家本元のサザンは最初は出さない、というのがポイントになりそうですが)

カバーって、「知ってる曲」という基盤のほかに、もちろん、いい曲だから広めたい、いい曲だからカバーしたい、いい曲だから好きだ、というもともとの「いい曲だから」という根源があるはずです。
ならば最初からいい曲をみんなで歌ったほうが、ひとりのアーティストのファンだけで共有するよりも、それぞれのアーティストのフォロアーにもアプローチできて、曲のためにはいいのではないか、と思ったりもします。twitter で情報が広まるようなシステムで。


誰かやってください。大物アーティストのかた。

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